山口茂美さん デイサービス「ぼこまめ」施設長・元長岡西病院ビハーラ病棟師長
医療の心を考える会(以後:医考会)参加はパート1(平成4年)ではビハーラ病棟業務の一環として、その後パートⅡは勤務異動後にマイライフの一環として途中から参加するようになり以降今日まで世話人をしてきた。
現在は老人デイサービスの施設長をしながら認知症の方も含め広義のターミナルケアを支える立場で活動している。
私は、看護の仕事は「病む人等に手で触れ(手当)目で見て(観察)護る(安心と安楽と安全を提供する)こと」と教わって実践してきた。
私が医考会に出会ったのは30歳前半。
人生経験も浅く未熟だったので、医考会に関わりの中で聴いた講師の話や人生の先人、諸先輩たちの体験談を傾聴し、そこから得た学びを日々の臨床の実践において、安心・安楽のケアに活かすヒントをいただけたことは大きな成果だった。
と同時に、私が気づかせてもらった臨床での学びを発表する場でもあり、人として、看護師として成長する機会になった。
以下、自身が参加して得られたこと(印象に残っている事)をまとめる。
一言で言うと、例会に参加するだけで「自分はここにいて良いのだ。
という安心感を得られた。
「メンバーや講師の話に触れるだけで癒された」事「自分は今のまま思いのまま自然体でいてよいのだ」という気持ちになれた事。
そして自分が安らかな気持ちになれた事で患者さんや利用者さんの気持ちを傾聴、受容する時にしっかり向き合う姿勢が作れたこと。
これは自身の生き方において大きな支えになった。
又、例会の会場がお寺であったことからお寺と住職が身近な存在になった事も良いことだった。
次に参加した例会で印象に残っている具体的な学び例及びキーワードを以下にまとめてみる。
・生きざま、死にざまに「○○でネバならない」は無い
・ 別宅死という選択肢もある(臨終の場所は本人の望みであれば自宅にこだわる必要は無い。
又、家族に看取られることが必ずしも本人の幸せ・安楽・安心とは限らないと)と言う談義がなされたことがあり発想の柔軟性が大事である事に気づき、心が楽になれた。
・悲しみ、苦しみ、切なさ等心の叫びは何らかの形で表出する必要がある。
表出の先に新たな一歩が見えてくる。
の学びから感情をぶつけられる役割というケアの方法がやはり大事なケアであったと再認識できた。
・自然体で良い(普段自分がいかに肩意地張って生きているか知る機会をもらった。
)
・ナラティブケア(人は皆「自分物語の主人公」紡ぐその物語の聞き役は大事なケア)
・ターミナルケアは「老病死」だけでなく、自然災害被災死、事故死、も対象。
(東日本大震災からの
学び)
前向きな生き方「特に癌と向き合う時」の笑いの効用(アルフォンス・デーケン氏の話と(当時:京都・掘川病院院長氏によるエッセイ「隣のおばあちゃん」のユーモアと皮肉たっぷりのしたたかな生き方の紹介)からプラス思考で生きる事の重要性を知り、日々笑顔でいようと心掛けるようにしている。
(現実は滅入る出来事が多くて中々笑顔でい続けられないで、まだまだもがいているが。
)
・心平安に生きるため「かかりつけ坊主を持つ事の勧め」は、私の努力目標となっている。
体験談を聴く機会(数例)と良寛の看取りを紐説いた話(黒岩代表)から、大切な家族を看取った様々な立場の人たちの思い、役割、等と看取った後の思いを疑似体験できた。
まとめ
この会では毎回様々な分野の方たちとのご縁から臨死における医療の限界、安心への導き、宗教をとおして先人の教えと知恵を沢山学ぶことが出来ました。
それと同時に、自身の死生観を培う一助になった。
なし得なかったことがあるとすれば、老死、特に超高齢化社会の到来から発生した、「生きづらさ」や「余命の生き方、臨死」に対してのニーズに対してテーマに取り上げられていなかったのが残念。
世情はこの20年変化し続けているが、どんな世になっても生きかた死にかたは永遠に変わらないもの。
私も還暦を過ぎたのを機に納得のゆく「自分物語」をしっかり紡いでいこうと思う。