関谷裕一さん マイステルジャパン代表取締役・市民・当会前事務局長・世話人
神社やお寺の境内で子供たちが遊んだり学んだりする光景が少なくなっている今日、宗教関係者と一般市民とを結ぶ線は「葬式」以外にない、と感じられる状況です。
遠い存在となった宗教関係者とりわけ仏教者を身近な存在として感じてもらうことが重要だと考えた訳である。
そのため例会開催は、できるだけ寺院を利用させていただき僧侶の法話を盛り込んだ。
懇親会における僧侶との懇親・交流を含めて、会の参加者にとって、僧侶はかなり身近な存在となったのではないだろうか。
第3点目「参加者同士顔が見える関係と範囲ということで規模の大を追わない」大人数の参加者を想定する会は、講師と参加者、参加者と主催者側の関係性も、会が終われば終了しがちである。
当会は、「いい話が聞けて良かった」ということで終わらせない、一過性の会にしない、という思いがあった。
小さい会であれば、参加者一人一人の「発言」の頻度が増え一人一人の参加者の個性も見えてくる。
さらに、懇親会出席者には、一人一人が必ず発言できる場を設けたので、顔が見える関係性を深めていただく一助として効果を挙げ得たと評価している。
会のサロン化という批判も一部にはあるが、「医療の心」という視点をキーワードにしたことで、専門性に陥ることなく、雑多な多職種で構成され、お互いが認めあえるようなゆるゆるの当会のような会であればこそ、少なくとも当会に関わった人々を、ある種癒しと啓発によりサポートし包摂する作用を果たしてきたのではないかと思っている。
第5点目「講師は医療等実践者を中心にお招きし、基本的に手弁当的に来て下さる方をお願いする」理論先行型の学者や評論家ではなく、様々な領域において実践活動を展開している方を講師としてお願いするというスタンスで推移してきた。
一般市民にとって理論的な難しい話を聞くより、その講師がどんなこと(医療やケア)を実践し、どんなことに悩み苦しみ、患者あるいは対象者と対峙してきたのか、解決できたと考えているのか、今もって悩んでいるのか、そういう話をしていただくことにより、一人の人間として共感したり共鳴したりあるいは自分自身の反省材料、場合によっては反面教師としての存在として身近に感じ得たのだと思う。
更に引き続きの懇親会参加ということで、この関係性の密度が濃くなったことは言うまでもない。
その他、平成21年に日本死の臨床研究会関東支部大会を当会が引き受け開催、平成24年に当会と長岡西病院との共催で特別講演会&シンポジウム開催、平成26年、同特別講演会の模様を中心とした書籍「日本的なターミナルケアとは何か。
あらためて問う意味」(考古堂書店)の発刊等は当会の実績として記録に留めたいと考える。
自分自身、この会を通じて自然と「死の準備教育」を受けたと感じている。
同時に様々な人々から学びと癒しを与えていただいた。
感謝・感謝の25年である。
この会の流れを汲むような新しい会が発足するのであれば、これまでのように、いいお話を聴き、いのちの源となるお料理と美味しいお酒を酌み交わしながら、ぜひ関わらせていただきたいと考えている。
長い間ありがとうございました。